【ネタバレあり】左手が描く物語(『この世界の片隅に』)
2016-12-11


原作『この世界の片隅に』の実験的マンガ手法は数々ある。筆だけで描く、作中で描いている絵が物語の一部になる、羽ペンを自作して描く、左手で描く、口紅で描く…など、これらは、実験ギャクマンガでつとに知られる唐沢なをき氏と同様に「その手法で描くことが面白い」あるいは「その手法だからこそ成立するネタがある」など、マンガの技術的な面白さに主眼をおいて語られることが多かったように思われる。

 しかし、前回、原作の物語構造を解析してみて、それらの手法の中に、その手法で描くことと物語構造が密接にリンクしていると思われる箇所が多いことに改めて気がついた。
 比較的わかりやすい?ところでは、物語序盤から随所に挿入されているすずさん作のマンガ「鬼イチャン」や口紅で描かれる「りんどうの秘密」については前回の考察に含めたが、そのポイントは、それらが「右手が描いた(架空の?)物語」であることを、物語そのものの内容だけでなく、手法によっても、より際立たせている、と言えるだろう。
 それであるならば、その実験手法のうち「左手で描いた」箇所にも「左手が描いた(現実の?)物語」という暗喩があったりはしないだろうか。

〓〓心象風景としての「左手が描く背景」
 こうの先生が語るところによると、すずさんが右手を失う展開は連載開始前から構想されており、左手で背景を描くための練習も連載前から行ない準備していた(しかも練習しすぎて上手くなり過ぎないよう、必要なレベルに達したところで練習を止めておいた)とのこと。
 このことは、「左手で描く背景」が作品の構想、構成の上で、そこまでする必要のある重要な要素であったことをうかがわせる。

 その第一の目的は、一読して明らかな通り、右手を失ったすずさんの「歪んでしまった」心象風景であろう。この時のすずさんがおそらく離人症の状態にあったことを、マンガならではの手法で表現しているといえる。
 離人症の症状を表現する言葉を探してググってみたところ、ちょうどよいサイトをみつけた。

[URL]

 離人症とは、どこか現実感のない、自分と周囲の現実の間にオブラートでもかぶっているような感覚だが、上記サイトではこの症状の特徴を以下のように表現している。(自分にも経験はあるのだが、下記はなかなか的確な表現だと思う)

・時空の歪み
・もう一人の自分が、現実の自分を見ているように感じる
・周りに見える世界と、自分との距離感における違和感
・明晰夢
・感情や欲がなくなる

 左手による描線の歪みは、「時空の歪み」や「世界と自分の距離感における違和感」を、ダイレクトに表現するものだろう。「明晰夢」と解釈できるシーンはないものの、これは夢の中の自分を客観視するもう一人の自分がいる、という点で、「もう一人の自分が〓」と近い症状であり、これは原作の作中ではすずさんの(他の登場人物から見える)行動と、それと噛み合わないモノローグの並列という手法でも表現されている。特に、呉を訪ねてきたすみちゃんとの楽しげな姉妹の会話と裏腹の醒めたモノローグは「感情がなくなる」ことを示す表現でもあるだろう。

 時限弾頭から呉の大空襲まで落ち着く間もなかったであろうすずさんが、「自分の右手がもうない」ことをはっきり自覚したページからこの「歪んだ背景」が始まり、最終回、広島で周作と再会し、孤児を連れて呉に帰り着いたページでその歪みが回復する、というのは、抑鬱状態の始まりから回復までの心の動きを表現する手法として(マンガという媒体だからこそ成立させうる心理表現として)極めて優れた到達点と言えると思う。

〓〓すずさんの世界

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